既に朔は過ぎた 『既朔』 |
西方の彼方、朱に染まり落ちかける太陽の光に溶け込んで、 細すぎる二日月の姿は巣山には見えていなかった。 だがきっと水谷には見えているのだろう。 朔であるはずの昨日の月も、もちろん今日の月も。 帰り道、時折空を見上げては口の端を上げて笑んでいる。 そんな水谷に、訊いてみた。 「月にはなんて誘われているんだ?」 暫しの沈黙の後、水谷は小さな声を落とした。 「……さみしいのなら、こちらにおいで、って」 竹取物語の姫のように月からお迎えでも来るのではないかと、 思ってしまうような物言いだった。 確かに今の水谷が寂しくないと言えば嘘になる。 いや、水谷だけではないだろう。 高校3年間の熱い夏は終わってしまって、 寂しさを一欠片も抱えていない高校球児はいないはずだ。 練習に顔を出すことはあっても、 もうグラウンド上には引退した自分たちの居場所は既に無く、 移り変わる季節に「その先」を意識しながら日々を過ごす他はない。 現状は十分に分かってはいるのだが。 巣山が傍にいて、寂しさを抱えきれなくなって月に誘われてしまうのなら、 なんのために自分は水谷の傍にいるのだろうと思う。 既に朔は過ぎた。 日毎に月はその姿を現してくるだろう。 「宣戦布告だ」 月の在るだろう方角へ視線を向けて、 水谷は渡さないと、巣山はそう心の中で宣言した。 |